「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」

「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」

 

 暑い暑い夏でした。新型コロナウィルス感染症と熱中症への対応に、常に気を配りながらの今年の夏でしたが、そういう中でも、それぞれのご家庭で様々に工夫された楽しい夏、思い出に残る夏を過ごされたことと思います。残暑は続きますが、いつの間にかセミの鳴き声がツクツクホウシに、高く高く背伸びしていた入道雲からイワシ雲になど、秋への様々な変化に「小さい秋見つけた」の歌声が頭の中に心地よく響きます。これまで、春・夏というお友達とずいぶん仲良くなった子どもたち。今度は、秋というすてきな新しいお友達との出会いの中で、どんな楽しいことを見つけ出すのでしょう。楽しみです。

  さて、今月の聖句は「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ15:15)ですが、この聖句は、「ぶどうの木」の喩えの文脈の中にあります。

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたにつながっている。(中略)わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。(中略)互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。『ヨハネによる福音書』15章1~17節)

(友のために命を捨てるなんて、自分にはたぶんできない。)と思われた方、大丈夫です。私たちを友と呼んでくださるイエス様が、既にご自分の命を捨てて下さいました。イエス様は、それほどまでに大きな愛で私たちを包んでくださっています。そういうイエス様が友であるので、悩み事の相談も(安心して)でき、時には喧嘩をすることだって(安心して)できます。

 子どもたちにとって、友達はとても大切です。一緒に遊び、共に喜び悲しみ、ときには喧嘩をしながら、ただ一緒にいるだけで嬉しくなる。そういう中で、自分も相手も大切にする心や態度・接し方・エチケットなど、様々なことを学んで成長していきます。身近な大人の役割は、その姿をそのまま温かい眼差しで見守ること、そして、本当に手助けが必要になった時、子ども自ら行動できるように促すことではないでしょうか。

園長 松永 章