読書感想文って?

「読書感想文って?」

 

 “小学生”“夏休みの宿題”と言えば“読書感想文”。子どもたちが絵本や本を読み感じたことを文章にして、2学期初日に学校へ提出すると言う、小学生をお持ちのお母さん方なら毎年ちょっと重く感じてしまうあの読書感想文です。

 こんなことを公言したらお叱りを受けそうなので秘密の話ですが…今年、小学校生活ラストの末息子の感想文を、ほとんど母の私が書いてやりました。

 息子は本を読むことは好きですが、それを文章化させること、さらに言えば言葉で表現することがあまり得意ではありません。昨年までは「どの場面が気に入ったの?」「最後の場面ではどう感じた?」と尋ねながら構成してやったのですが、今年は思春期の入口にさしかかっているようで言葉を発しようともせず…挙げ句の果て、母があれやこれやと尋ねているうちに、ぐうぐうと昼寝を始めてしまいました。もちろん、子どもは喜んで本を読みました。ですから、それならと私が感想文を書くことを楽しんでみようと思いました。つまり息子は、寝ている間に宿題ができあがってしまい、彼は原稿用紙に清書をするのみでした。

  以前、絵本セミナーで「絵本を読んだ後の感想やあらすじを子どもに尋ねたり確認させてはいけない。本嫌いになる。子どもの中に感じたもの、それがすべてです」と習いました。共に絵本の物語を楽しんだ後、子どもと教師の間に、また親子の間に、同じ経験をした者同士の何とも言えない心地よい空気が流れます。それが「楽しかったね。おもしろかったね」と言うだけの言葉でかき消されてもいけません。ましてや感想を聞かれたり文章でその気持ちを書きましょうと言われても、小学生の子どもとて表現しにくいことなのではないかと考えるようになりました。また、福音館書店の元編集者で児童文学作家の斎藤惇夫さんは「読書感想文なんて親が書いてあげればいい」とおっしゃって、私は腑に落ちたわけです。

  遠い昔、8月31日になっても読書感想文を書いておらず、また書けなくてうなだれる私に、父は「お父さんと一緒に書こう」と寄り添ってくれました。おしゃべりも文章を書くことも好きな父でしたので、つらつらと口からいろんな言葉が溢れます。「そうか、そう感じたらいいんだな」「こういう言い回しがあるんだ」などと思いつつ、私は父の言うままに文章を清書し、翌朝学校に提出したのでありました。学校代表になり感想文コンクールに選ばれたことも一度や二度ではありません(笑)。

 年月を経て、高齢になった父が自治会にて読んだ本を紹介する機会に恵まれました。しかし「本は読んだが文章が浮かんでこん。お前が一緒に考えてくれんか」と依頼して来ました。昔の思い出がよみがえり、私で良かったら、と父の思いを文章にし、原稿用紙に書いて渡したのも良き思い出となりました。

 かつて父からは、感想文を書きながらものごとのとらえ方や様々な表現法、そして豊かな言葉の数々を教わりました。コンクールに選ばれるための作文を書けるのが良いのではなく、本を読んだ後、その子どもの中にろうそくの灯りのようにぽっと優しく灯る何かが残れば、それでいいのです。先述の斎藤さんは、子どもが本を読むことを通して「人間は本当に面白い、世界は広くて楽しい、生きるに値するところだと伝えたい」とも言われます。これが本来の絵本や本の役割なのです。幼い時代にはこれに、読んでくれる人の温もりがプラスされます。子どもの中に永遠に残る幸せの感情です。

  息子の読んだ本は、『過去六年間を顧みて』(偕成社)です。今年亡くなられた絵本作家、かこさとしさんが小学校卒業時に6年間の思い出を絵日記にまとめたものだそうです。高学年のお子さんから大人までおすすめします!

 

 

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