藤山一雄調査研究

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目的

2007年2月、梅光学院大学博物館では、本学院の旧教諭であり、日本博物館史に残る藤山一雄(1889 – 1975)が遺した資料群「御家蔵・藤山一雄文献等資料」を受託いたしました。これを契機に当館では4月から藤山一雄にかんする調査研究を目的とした、資料の整理作業を開始することになりました。整理スタッフは本学博物館学課程実習生有志と館員で、学内外協力者のご助力も得られ、「藤山一雄調査研究」への一歩を踏み出しました。

ここでは、調査活動の様子や作業の進捗状況等を随時、お知らせいたします。

藤山一雄先生紹介

藤山一雄先生

藤山 一雄 (ふじやま かずお / FUZIYAMA KAZUO)


1889(明治22)年4月16日 ~ 1975(昭和50)年4月10日 享年86歳
出身地:山口県玖珂郡(現・岩国市由宇町)

  • 下関梅光女学院地理科教諭
  • 旧満州国国立中央博物館副館長
  • 山口県知事顧問・農山漁村生活改善新生運動推進者

幼年~青年時代(1889-1921)

生来病弱だった藤山先生は、体質改善を目的に、大阪の文楽師匠・豊沢雷助のもとに6年間預けられました。そこでは義太夫と太棹を習得。また生涯にわたって生活信条となっていく、真言密教の教え・三密の業(意密・身密・口密)を学んでいます。祖父の希望で帰郷した後、岩国中学校、第五高等学校、東京帝国大学を卒業されます。この頃に『森の生活・ウォールデン』の作者である、ヘンリー・ソローやその友人のリチャード・エマソンに多大な影響を受け、藤山先生は下関市長門一宮の地で、農業を主体として、文学、絵画、音楽、建築等をも手がけた文化的、創造的な生活を実践しています。1919年には下関日本基督教会にて受洗されました。

梅光女学院教諭時代(1921-1926)

1921年下関梅光女学院初代学院長・広津藤吉先生の要請を受けて、地理科教諭に就任。藤山先生は博識・経験に裏付けられた特色ある授業内容で生徒を魅了し続けられました。また在職中には、『清貧饗盤抄』『住宅芸術』『信仰の人本間先生』等、執筆活動も盛んに行なわれています。

満洲・博物館時代(1926-1945)

1926年退職後は、満洲(中国東北部)へ渡り、満洲鉄道関連会社に赴任。 以後、満州国国務院恩賞局長、満州国国立中央博物館副館長などを歴任。藤山先生の基本構想をもとに、当時では画期的かつ進取性に富んだ教育・普及活動「博物館エクステンション」が展開されました。

戦後・新生運動時代(1945-1975)

終戦引揚げ後は、故郷の神代村で山の植林、農業・畜産に着手されました。1947年には周東畜産協会を創立、会長就任、1949年柳井女子商業高等学校校長、周東養鶏農業協同組合理事長など歴任されます。そして戦後の生活改善運動の推進者として、1954年農山村文化研究会を創設、山口県知事顧問に就任されるなど、地域の文化と産業の育成・発展に、多大な貢献をされました。

これまでの経緯