第十二回「中国古典Ⅲ」 授業担当:中尾 健一郎先生(11/07/04)

 中国古典Ⅲでは、清少納言の『枕草子』にも登場する『文選』を読んでいます。具体的には、前期の前半は古楽府を、後半は陶淵明の詩を読みます。日本文学科の2年生と3年生が受講者のほとんどを占めています。句読点の無い版本を複写したものを読みますが、白文ではなく、江戸時代の人が返り点と送り仮名を施した和刻本を教材に使います。1年生の時にまじめに中国古典Ⅰ・Ⅱの授業を受けていた人は、和刻本独特の送り仮名に慣れれば、漢詩を書き下し文にして読むこと自体にはそれほど困難を覚えないでしょう。

 授業後に毎回、漢詩を読んだ感想を小レポートとして提出してもらいますが、はじめは「教材に漢字ばかりが並んでいるのを見て、気持ちが悪くなった」と書いていた学生も、常に予習を要求されることもあってか次第に慣れて、漢詩の奥深い世界に入ってゆくことができるようになりました。しかし予習をして意味が取れても、今ひとつピンと来ないことも多いようです。なぜなら現代人にも共感できる内容が詠まれていることもありますが、現代とは環境が違いすぎてわかりにくいことも少なくないからです。特に難しいのは、「男尊女卑」や「後宮三千」など、男性中心の文化を背景に持つ内容の漢詩かもしれません。

 たとえば、授業で取り上げた「怨歌行」は、「秋の扇」のたとえを生んだ楽府ですが、やはり現代人には親しみにくい内容を持ちます。雪のように白く清らかな絹がまん丸い扇に仕立て上げられ、ある男性の身辺に置かれて涼しい風を起こします。この扇は作者と見られる女性の分身でもあるのですが、扇は男性のために役立てられながらも、秋風が吹く季節となり暑さがやわらぐと、みずからが不要のものとされるのではないか、と恐れるのです。これによって「秋の扇」と言えば、愛されなくなった女性のたとえとなりました。

 この楽府の作者は、前漢の成帝の妃であった班婕妤だとされています。彼女の事跡は、班固の『漢書』外戚伝に見えますが、はなはだ聡明な女性であったようです。ある時、皇帝が彼女を自身の乗り物に同乗させようとしたところ、「古代の名君は賢明な臣下を同乗させましたが、夏の桀王、殷の紂王、周の幽王の3人は、愛妾を同乗させました。わたしが同乗すると、我が君は古代の暗君と同じになってしまいます」と述べて、決して皇帝の乗り物に同乗しようとしなかったことが記録されています。これほど聡明な班婕妤も、後に皇后となった趙飛燕に寵愛を奪われて、離宮で寂しい余生をおくりました。

 「怨歌行」はそのような班婕妤の気持ちを詠んだものとされますが、学生の皆さんの感想文を読むと、彼女を称賛する言葉とともに、「どうして男性はほかの女性に目移りするのでしょうか」との質問が複数の女子学生から寄せられていました。男性を代表しているわけではないので答えかねますが、皇帝や殿様ならばともかく、一般の男性は皆が皆ほかの女性に目移りするわけではないでしょう。男性の名誉のためにも、同じく授業の中で紹介した「偕老同穴の契り」に深い共感と憧れを覚えた男子学生が多くいたことを、あわせて記しておきましょう。

  • 大学
  • 文学部
  • 日本文学科
  • 国際言語学部
  • 英語英文学科
  • 東アジア言語文化学科
  • 子ども学部
  • 子ども未来学科
  • 大学院
  • 大学院文学研究科