
第七回「教育制度論」 授業担当:赤堀方哉先生(10/04/22)
「今みたいな学校は、日本ではいつからあると思いますか?」
「明治!」、
「いや、江戸時代の寺子屋」、
「もっと前からあったんやない?」
「でも、先生、"今みたい"ってどういうことですか?」
そうそう、その問いを待っていたのよ。
「じゃあ、"今みたい"な学校って何だろうね。」
「生徒がある場所に集まってくるのが学校じゃない?」
「教科書を教えるのが今の学校!」
「テストがあることですか」
「みんなが行かないといけないということ」
「ゆとり教育!」
「先生が怖くて、えらそうなのが学校」
「6・3・3制」
「お金がいらない」
・・・・・・
それぞれが持つ"今みたいな"学校のイメージを出し合いました。
この「教育制度論」の授業では、その名称の通り、教育の制度的側面を扱います。日本のほとんどの学校で共通するイメージは、法律やそれに準ずるものによって、規定されているものです。それらが、どのような歴史的な経緯を経てここに至り、どのような理念によって、また、どのような法律によって定められているかを考えていきます。
「"今みたいな"学校はいつからあると思いますか?」のひとつの答えは、「明治5年」です。この明治5年というのは、「学制」という日本では最初の統一的な近代学校制度を規定した法律が制定された年です。つまり、法律に定められたという意味で、"今みたいな"学校が作られた年ですね。
身分が解放された明治初期に、近代学校制度が作られたということには大きな意味があります。身分の解放とは、親の身分が自分の身分だったそれまでとは異なり、(理念上は)「誰もが何にでもなれる」ということです。そして、「何ものにでもなれる」可能性を保障したのが学校だったのです。学校で(成績を)獲得することを通して、社会での上昇移動が可能になったのです。
想像してみて下さい。今までは自分の努力ではいかんともしがたく、越えていくことのできない自分の頭上にあった天井に穴が開いたのです。その意味で、近代学校教育制度は、"希望"だったのです。
今の学校にも"希望"はありますか?
教員になることを目指している学生たちには、近代学校教育制度の持っていたこの"希望"を次の世代にも手渡していける先生になってほしいと願っています。





















