

被災地の若い君たちへ
3月11日午後、東日本一帯を襲った地震、津波、そして、福島の原子力発電所事故。未曾有の複合災害から、3か月が経ちました。あの時、君たちはどこでどうしていたのですか。いま生きていてよかった、ほんとによかったと思っていますか。
この東日本大震災と呼ばれる災害は、いま生きている日本人にとって、誰も経験したことのないものです。被災地にいた人だけでなく、日本人すべてにとっても初めてのことでした。遠くにいるものには想像もできない悲惨と混乱と破壊だったのでしょう。
ただ、どうしたら、被災地の若い君たちが以前のように立ち直り、未来に進めるのか、そして、たまたま圏外にいた私たちは、君たちに何ができるのか。どんなことばを届けたらいいのか。そのことを一緒に考えたいと思ってお手紙しました。
あの日以来、多くのテレビ、ラジオが映像や音声で被災地関連の情報を流し続けています。新聞や雑誌も、膨大な量の「文字」を使って報道しています。そこで使われたのは、多くは「日本語のことば―情報」でした。数えることのできないほど、大量のことばと文字です。対象はだれか、関心を持つ不特定多数の、視聴者、読者です。
たとえば、こんな現象が起きています。
「3月11日以降、この国のあらゆる場所が『論壇』になった。 (略) 『震災と原発』をめぐることばが溢れた。わたしたちすべてが否応なく『論議』に参加するよう求められた。」(高橋源一郎氏『震災とことば』(朝日新聞、4月28日)が一例です。
そしてこれは、今も続いています。
しかし、これらのことばが被災地にいる君たちには、果たして届いたのかが心配でした。津波に家族や家を奪われ、着のみ着のままで避難した君たちにはテレビもラジオもない、あっても見る暇も聞く時間もないでしょう。今まで、使い慣れたことばでは表現出来ない、ぎりぎりの瞬間瞬間が続いた、いや続いているのでしょう。避難した小学校や、体育館などでも、同じ状態だったはずです。見て聞いて、読んだとしても、そうしたことばや情報を理解し、それを受け入れ、ことばを返してやることができたのでしょうか。しかも、ほとんどは、標準語が使われ、被災の様子は、単位も分からぬ数字しか知らされません。
それは、君たちが日ごろ使っている「ことば」や「情報」、あるいは「感情」「知識」「考え方」とは何か違うもの、理解を超えたものではなかったかと心配になります。これまで大切に貯めてきたことばの宝箱も瓦礫のようにこわれて、誰に、何を話せばよいのか。どう話せば、書けばよいのか。家族や友人に話すように、体温のあることばを交換したい、でもできない。途方に暮れて、やがて黙ってしまう。無口になり、やがて沈黙する。そして、ことばは無力だと思うかも知れません。
君たちだけでなく、被災地の多くの人も同じ思いを持っているのではないか、と不安になります。目の前にいない発信者、テレビや新聞やネットに、何を話せばいいのか。一部の人を除いては、話さなくても分かり合える人と一緒に、沈黙するしかないのではないかとも思います。
君たちの思いや感情はまだ十分、私たちに届きません。切れ切れの情報や想像力を使って、こうではないかと思いやるだけですが、それでいい、そんな隠れ家こそ大事だと思いたいのです。いまは、沈黙の世界のなかで、ことばになる前の小さな「思い」の芽を育てて下さい。やがて、それが、表現の花に至る日が必ず来るはずです。
こんなことばがあります。
「沈黙は言葉がなくても存在し得る。けれど沈黙なくしては言葉は存在し得ない。もし、言葉に沈黙の背景がなければ、言葉は深みを失ってしまうだろう。」
スイスの哲学者ピカートの箴言です。
私たちも、ことばを発することに控えめでありたいと考えています。私たちのできることは、君たちの沈黙に寄り添うこと、寄り添い続けることです。ことばの微かな灯火をかざし、沈黙の暗渠をくぐって近付こうと思います。
沈黙ということばの力を信じて。
「祈り」
今はただ祈るほかなき我らにてかなしといふもなほかなしかり
八十四歳の母が肺炎を起こし生き死にと向き会っていた三月十一日に東日本大震災はおきた。突然に多くの方が亡くなり被災した。テレビに写し出された映像は、音もなく大津波が押し寄せて点々と家が自動車が巻き込まれていった。音の消された映像には見えず聞こえもしないが、波に覆われて人の呻き声悲鳴がひしめきうごめいていた。おひとりおひとりが、かけがえのない唯一無二の個々の存在であることを思うと、そのあまりの重さに打ちひしがれた。
浅春の集中治療室青空のかなたに広がる津波の荒野
海かたむき陸地ひたせる 長明がよのつねならずとしるせし大地震(おほなゐ)
大地震(おほなゐ)に多く逝きたり老母のうすき命を見守る数日に
率直に言えば老いた母に施す延命治療が申し訳ないというような戸惑いすら感じた。
日和山(ひよりやま)にさくら満ちたり夕ひかりくまなくして 人の死に馴れず
募金もいろいろしたが、むなしい。親しい人達は被災を免れたことを後に知った。全国高校文芸誌コンクールでお会いした方々は無事だろうか。日本は六十六年という長い間、戦争をしなかった。それでも戦災と同様のやりきれないほどの荒野が広がる。かなしい くるしい いとしい せつない くやしい おそろしいということばの放つ感情のうねりのまえで、踏み止まって生活を立て直そうと気丈に努めておられる人々の前で、ことばは立ちつくすほかないのかもしれない。岡井隆氏が、
書いている己れを常に意識して、しかも気づかひがつねにむなしい
と、『短歌研究二〇一一年五月号』に歌を詠んでいるとおり、どれほどのことができるのかわからない。しかし、ことばでしか表わせないことは多い。ことばにしなければお互いに理解できないことは多い。ことばによって悲しみも怒りも願いも他者に伝えることができる。ことばによってつながることでともに寄り添い怒り笑い口論をし希望の見える明日を作っていきましょう。
命一つ身にとどまりて天地(あまつち)のひろくさびしき中にし息す 窪田空穂
てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る 大西民子
荒れあれて雪積む夜もをさな児をかき抱きわがけもののねむり 石川不二子
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり 馬場あき子
こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり 山崎方代
右は、偶々、この天地に生かされている命の息遣い、ありがたさに心を凝縮した歌である。生きる強い意欲を詠んだ歌もある。震災以後にありありと思い出された歌である。ささやかなエールとなればという祈りをこめて。
3月11日。勤務校の研究室でツイッターを眺めていると、地震のニュースが飛び込んできました(この文章を書いている今、あらためてツイッターの速報性に感心しています)。すぐさま関東の実家に電話を掛けましたが、つながりません。そのことで、事の重大さと深刻さを実感しました。東北や関東在住の友人知人のことも気になりますが、とりあえずニュースをみようと、携帯電話のワンセグでテレビを映しました(いつでもどこでもテレビがみられる......すごいことです。ただし、電気が必要なのはいうまでもありません)。するとちょうど、大津波が宮城県の湾岸に到達するところでした。その波は家々やライトの付いている車を一飲みにしていきました。その映像を、わたしはただ呆然と眺めていることしかできませんでした。
15日、勤務校で卒業式が挙行されました。東北や関東の多くの大学はおそらく卒業式どころでないだろうと思うと、卒業生たちを純粋な気持ちで祝福するのがわたしには困難でした。しかし、卒業生にとっては一生に一度のイベント。直接的な被害があるならまだしも、ほとんど何の影響もない下関の地で卒業式を自粛する必要はないし、やるからには卒業生を心から祝いたい。そう思い直して式に臨みました。震災に触れた学長の式辞や今後について語る卒業生代表のことばを聴きながら、大変な世の中に巣立っていく卒業生たちの前途茫洋なこれからを想像し、こんなときだからこそ自分を強く持ち、一歩ずつ確実に歩いていってほしい、と願いました。式が終わったあと、ゼミ生たちが卒業記念の色紙をくれ、とても嬉しく感じました。ただ、その反面、震災のことを考えてどこか素直に喜ぶことのできない自分がいたのも事実です。
しばらく経った日の夜、遅くなったので勤務校から駅までタクシーに乗りました。週末なのに道を通っている車も人も少なかったので、運転手に「送別会シーズンなのにずいぶん道が空いていますね」と尋ねてみると、「みんな浮かれて酒を飲んだり外を出歩いたりする気分になれないみたいで、震災後はずっとこんな感じですよ」という答えが返ってきて、何だか不思議な気分になりました。たしかに、たった今この瞬間も震災の影響で苦しんでいる人がいると思うと、外で遊んだり楽しんだりするのが何となく憚られます。ですが、日常生活にほとんど何も支障のない人たちが、果たしてどこまで自粛すべきなのでしょう? 自粛という行為が震災に遭った人たちのためになっているのか、思わず考え込んでしまいました。
そんなとき、3月20日に開催予定だった「とくしまマラソン」が延期になったというニュースをネットで眼にしました。何でも、一度は予定通りの開催が決定されたのに、某新聞の記者が地方版の記事に「東日本巨大地震の犠牲者の全体数さえまだわからないこの時期に、大会を開かなければならない理由はあるのか、疑問だ」「楽しむことが主眼で、〈お祭り的要素〉がある市民マラソンは、今開くべきかどうか」と書いたことがきっかけとなって、延期することになったそうです(折しもこの記事は、掲載紙のお偉いさんが予定通りの日程、しかもナイターでのプロ野球の開幕を強行しようとしていた時期でした)。自分がその一週間後に福岡でのハーフマラソンに出場する予定だったので、このニュースはわたしには他人事ではありませんでした。
わたしには、「とくしまマラソン」の開催が延期されなければならない理由がまったくもって理解できませんでした。もちろん、なかには東北や関東からこの大会に出場予定だった人もいるでしょうし、震災のせいで参加できなくなった人たちには払い戻しなどの十分な配慮がなされるべきでしょう。けれども、このマラソンの開催地である徳島にはほとんど震災の影響はないのです。時期が悪いという理由で、このような遠隔地のイベントまで延期や中止になってしまったら、日本経済が回らなくなるばかりか、人々の息が詰まってしまいます。この記者は、きっと自分なりの正義に基づいてこの記事を書いたのでしょう。しかし、その正義はすべての人にとっての正義かというと、そんなことはありません。幸い、わたしが出場予定だった福岡の大会は予定通りに開催され、自己ベストを出すことができましたが、震災に対してどのように関わることが「正義」なのか、つくづく考えさせられました。
そのような日々を過ごすなかで、ずっと考え続けていたことがあります。自分に、そして文学には一体何ができるか、ということです。自分にできそうなこと――たとえば自分にとっては決して少なくない額の義援金を送ったり、献血したり――はただちに実行しました。しかし、文学を研究したり、文学について語ったりしている自分に何ができるのかと考えてみると、すぐにできそうなことが見当たりません。自分や文学は被災者に対して何もできないのかもしれない。そんな考えが何度も頭をよぎりました。ただニュースを眺めているのはつらいものです。震災のニュースをみればみるほど、被災者の方に何かしてあげたい気持ちは募ります。でも、何かしてあげたいのに、何もできない。そのもどかしさが、わたしを日に日に追い詰めていきました。実際に震災に遭われた方々には失礼な言い方かもしれませんが、その意味ではわたしたちも被災者なのかもしれません。震災によって、「自粛しなければならない」というムードや「何もしてあげられない」という無力感にわたしたちもまた追い込まれていったのですから。こうして、もうすぐ新学期が始まるというのに、ほとんど何も手つかずの状態で毎日が過ぎていきました。
「自分には何ができるだろう?」と、何万遍かの疑問を、また繰り返しながら過ごしていたある日。ふと自分のなかに、ある文学作品のフレーズが浮かんできました。
奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。
そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前(せん)より、人には丁寧。
中原中也の「春日狂想」という詩の第二節冒頭です。第一節では、「愛するもの」を失った歌い手が、最初は「自殺しなけあなりません」と思うものの、「業(?)」の深さに「なほもながらふ」こととなり、その結果、失ってしまった「愛するもの」のために「奉仕の気持に、ならなけあならない」と考えるようになる、その心の変遷が歌われています。しかし、「さて格別の、ことも出来ない」ので、今まで通りの日常をこれまで以上にしっかりと過ごすしかない、と歌い手は考えます。その決意が歌われているのが、引用した箇所です。このフレーズは、世間の自粛ムードや自分にできることを考え続けていたそのときのわたしの心境にぴったりでした。何か大きな出来事があったからといって、自分にできることは限られています。募金や献血以外に自分にできるのは、これまで通りの日常を今まで以上に心を込めて過ごすことのみです。でも、それでいいのだ、ということを、この詩はわたしに気づかせてくれました。
この詩を思い出したことで、ふっと心が軽くなりました。ツイッターで先の引用をツイートしました。何人かがリツイートしてくれました。数日後、斎藤美奈子さんが朝日新聞の文芸時評で「私は文学を、読書を過大評価はしていない。ただ、文学にしかできない仕事があるのは事実だし、読書でしか得られない効用があることも知っている。/あなたが過去に元気づけられた本、慰められた本を思い出そう。その情報をツイッターやブログやメールで流そう」と述べていました。この文も引用してツイートしました。そうしたら50名を超える人がリツイートしてくれました。3月11日以降、自分に、そして文学にできることとは一体何か、みんな考えていたのでしょう。
4月14日付の朝日新聞に、ある記者が「被災地に寄り添い、失われた言葉を想像し続ける必要がある。それは、この喪失感を表現する言葉を見つけられずにいる、私自身の問題でもある」と書いていました。気の毒なのは、この記者には文学がなかったことです。文学があれば、ことばは失われません。そのことを実感したのは、先に引用した中原中也の詩が自分のなかにふと浮かび上がってきたときでした。
わたしはこれまで、たくさんの文学作品を読んできました。その文学作品がわたしを支えてくれている、というより、それらの文学作品がわたしという人間を形づくっているのです。文学作品のことばが、そしてそのことばに接してその都度自分なりに真剣に考えたことが、わたしを今のわたしにしてくれました。文学のことばがみずからの裡にストックされていなければ、わたしは今も震災のニュースを眺めてただ涙を流すしかできなかったでしょう。しかし、わたしには文学のことばがあった。文学、そしてその文学のことばこそ、わたしである。そんなことをわたしは今、強く実感しています。
よく、文学部に入っても就職がないとか、文学は虚学だ、などといわれます。たしかに文学部で学ぶ内容は手に職をつけるようなものではないかもしれません。しかし、文学部で書くレポートは文章力を鍛えますし、発表の準備は調査力や分析力を養います。資料を作り、それを人前で発表することはプレゼンテーションのいい練習になります。また、文学作品の著者や自分以外のゼミ生のことばに耳を傾けることは、ディスカッションや読解力、人の気持ちを想像する絶好のトレーニングとなります。つまり、文学部で養われる能力は、どんな社会でも当たり前に求められることばかりなのです。
そしてなにより、文学を学ぶことで、自分という人間が形づくられていきます。つまり、文学は「わたし」という存在や、自分自身の生き方と密接に関係しています。その意味で、文学は虚学なんかでは決してありません。荒川洋治さんが『忘れられる過去』(みすず書房、2003年7月)という著書のなかでいっているように、文学は実学なのです。若い人たちには特に、文学作品をたくさん読み、そのことばをみずからの裡にストックすることで、どんなときも、どんなことがあってもくじけない強い心を手に入れると同時に、自分自身を形づくっていってほしいな、と思います。
文学にできることは、それほど多くないのかもしれません。しかし、文学にしかできないことは確実にあります。そのことを実感し、またそろそろと走り始めた、新年度が始まってひと月ほど経つ今日このごろです。ちなみに、この文章のなかに、ある文学作品の一節が埋め込んでありますが、誰が書いた何という作品か、分かりますか? 教科書にしばしば載っている、戦後に書かれた作品ですよ。
ことばをひとつの杖とし生きていこうとする君達と、未曾有の大災害に見舞われ日本中を様々な情報や思いをのせたことばが飛び交う今だからこそ、考えておきたいことがある。
3月11日以降、「連帯・協調・助け合い・共感」といったことばがなんと巷に溢れかえっていることか。それらは、報道だけでなく個々人の意識の中でも久しくダサい、うっとおしいとされてきた。それが今、東北再生さらに、新しい日本をつくっていくキーワードとして扱われている。裏返せば、これらのことばを日頃いかに軽々しく使ってきたか、今回の大震災が、言葉遣いの再評価を迫っている。
「同調圧力」ということばを聞いたことがあるだろうか。ジャーナリストの佐々木俊尚は、週刊ポスト4月1日号で、ある音楽公演に「不謹慎だ」「節電しろ」と批判が相次いだことを例にとり「節電は必要だが、我々は普通に経済活動をし、日常生活を送ればいいのだ」と述べたうえで、こう警鐘を鳴らした。「『人がつながって一致団結する』ということと、『圧力をかける空気をつくりだす』という行為は表裏一体で、容易にダークサイトに転ぶ」。
また、作家の高橋源一郎も震災を前に「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴える学生に、「『正しさ』への同調圧力」に押しつぶされないように、と助言する。悲劇を前に連帯や希望を語ることは「正しい」。しかし「社会の全員が同じ感情を共有しているわけでは」ないのだと、ツイートで次世代に「気をつけて」と呼びかけている。「『不正』への抵抗は、じつは簡単です。けれど、『正しさ』に抵抗することは、ひどく難しいのです」という、高橋のことばは、非常に重い。
それに、「正しさ」さえ今、揺らいでいる。正しいvs正しくない...正しさの境界とは何だろうか。人間のあらゆる営みにとって有益であるとして疑いのないものに与えられる保証のラベル。そう考えたとしても、これまで「有益である」とされてきたものが根こそぎひっくり返された今の日本においては、そうやすやすと保証されなくなってきている。
先日新聞の投書欄で、インタビュアーが被災者に向けた「今必要なものは、何ですか?」という問いかけに被災者が「すべてが必要です」と答えたことが取り上げられていた。インタビュアーのことばは、これまでであったなら、困っている人に手を差し伸べようとする場合のことばとして、非難されるようなものではなかったはずだ。しかし、今回の喪失は、何かで補えるような欠片ではない。正しくなかったのは、そのずれの認識の仕方であろう。ここでも、ことばが問い返されている。
さらにこの投書欄は、「家族や大切な人を亡くされた方々もいらっしゃいます。どうか気を落とさずにがんばってください」というインタビュアーのことばも問題にしている。あまりに消沈している人を前に、かけることばを無くしつい悪意なく「もっとつらいひとがいる」ことを引き合いに出してしまった。けれど、個々人の哀しみは、他者のそれと較べられない。哀しみ・傷みの深さは、どれも、ひとつずつ。正しくなかったのは、固有の魂のありかは括れないという当たり前のことを見失ってしまったこと。
だが、先のインタビュアーのインタビュー作法や応援メッセージも、これまでは、往々にしてまかりとおってきたものだ。人はだれしもが豊かに生きること、幸福であることを希求している。だからこそこの「だれしも感」に乗っかって、その豊かさ・幸福に貢献すると「予見」できるものすべてに、粗い視点で「正しい」とレッテルを貼ってきたのではないだろうか。自粛列島は、義援金銀座ともなっている。「無関心」と「遠慮」のあいだの距離・差異は、どれほどあるのか。科学しかり、経済政策しかり、そして、道徳しかり。今回の大震災以降、この粗さをまざまざと見せつけているのが「ことば」。豊かさ・幸福の本質を探り直し、人間同士で生き合うことの(共感も暴力も含めた)凄味を見せてくれるのも「ことば」。我々が信じ捧げようとするのは、このことばとの闘いに組みする「文学の力」だ。
君達は、いやこの教室に集まった私達は、まさにそういう場所に立っている。