ハンセン病の国立療養所 菊池恵楓園を訪問しました(2017/05/01)

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3月8日(水)、今年も熊本県のハンセン病の国立療養所「菊池恵楓園」を訪問させていただきました。
参加者は学生13名、引率教職員4名の17名です。

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到着後、箕田誠司園長の御講話で、ハンセン病の歴史、医学的な知識などを学んでから歴史資料館へ。
分厚く高い「隔離の壁」や、子どもを持つことを許されなかったご夫婦が可愛がっておられた人形などから、当時の隔離政策の惨さを学生たちは目の当たりにしたようです。
新しい展示ブースでは、宿泊拒否にあった平成の事件が展示。事件時に恵楓園へ送られてきた賛否両論の手紙を読み比べることで、現代でも続く元患者さんへの無理解と差別意識を知り、問題の根深さを考えさせられた学生もいました。

 

盲人会館では盲人会の皆さんと交流させていただきました。3名の方がご自分の体験や現在の生活のことなどを話してくださり、学生たちは熱心に耳を傾けていました。
本学でもハンドベル部がこの日のために練習を重ねた曲を披露。時に入所者の方の歌声が響き、喜んでいただけたようです。

 

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交流会後半は、山口県出身の方と車座になってお話を伺いました。特に同郷の学生たちは、聞き知った地名などが出るため、住み暮らす土地から引きはがされていく様子を思い浮かべたようです。
交流会後は敷地内の施設である納骨堂や火葬場跡地、旧監禁室を回りました。

 

毎年欠かさず訪問させていただく菊池恵楓園訪問ですが、徐々に高齢化の波が押し寄せているようです。だからこそ、できるだけ多くの若い学生たちが園を訪問し、社会で過ちが起ころうとしたとき、理性でもって防げるよう知識を蓄えておく必要があります。今後とも本学では、入所者の方々と学生たちをつなぐ、未来に向けたサポートを行って参ります。

末尾ながら、本年度もあたたかく訪問を受け入れてくださった菊池恵楓園の皆様、溌剌と学生に応えてくださった盲人会の皆様、スタッフの皆様に心から感謝申し上げます。

以下に、今回訪問した学生たちの感想を掲載します。

 

【参加学生の感想】

子ども学部1年 井口 七海170308rel-5
私が恵楓園に行って感じたことは、ハンセン病の患者さんがこれまで世間から本当にひどい扱いを受けてきたということです。犯罪者と同一視されたり、公共交通機関に乗ると降ろされたり、徹底的に消毒されたりなどの人権侵害がとても長かったという話を聞きました。また、実際に資料館で当時の道具や写真を見て、言葉を発することができませんでした。これまで私はハンセン病について知りませんでした。同じように同級生でも知らない人は多いと思います。そんな中、Mさんはこれまでの辛い経験を惜しみなく私たちに伝えてくださいました。今回私たちが実際に見て、聞いて感じたことをしっかりと伝えていく必要があると感じました。

子ども学部1年 弘中 悠一
今回の菊池恵楓園訪問で、私が想像していた以上にひどい差別が長い間続いていたという事実を知りました。ハンセン病が感染しにくい病気だと分かっていたのに、日本ではハンセン病患者を隔離する法律が制定され、その差別は100年以上続いてきました。また、その差別が正しいことであるとされてきました。世間一般で正しいとされているから正しいという考え方は、現在でも多くの人の中にあります。何が正しいのかを、自分自身で考え、判断する力をつけることが必要であると感じました。

文学部3年 藤田 千思170331rel-1
今年もハンドベル部として参加し、「カントリー・ロード」「涙そうそう」「どこかで春が〜早春賦〜春よこい」の3曲を演奏しました。今回は前もって曲のリクエストをくださり、ハンドベルの演奏を毎年楽しみにしてくださっていることがとても嬉しかったです。
私は今回で訪問は3度目になります。ハンセン病についての事前講義や資料館の見学、入所者のお話を伺うことでこれまで学んできました。始めハンセン病は悲しい歴史という印象がありましたが、私たちを迎えてくださる入所者の方のいきいきとした表情やお話から、決して悲しいことばかりだったわけではないことを知ることができました。

子ども学部4年 兒島 希美
一番衝撃的だったのが利用者の方々の年齢の高さと、入居されている年月の長さでした。大半が90歳以上で、80歳だと若いほうになるということでした。私がお話ししたDさんは長崎生まれで年齢が90歳近く、10歳のころから入居されていました。しかし、ひどい偏見と差別を乗り越え、今では読書や野球をテレビで見るなどの様々な趣味を楽しんでいるようで、活き活きと話しておられ、私まで楽しい気持ちになるほど明るい方でした。
 入所者の減少と土地の再利用として、菊池園の中にはこども園がありました。親御さんもハンセン病のことを正しく理解されているということです。子供たちとの交流するイベントもあり、高齢者の方が大半の菊池園に活気がうまれると感じました。菊池園を訪問しハンセン病の歴史を知ることで、差別や偏見がいかに人を苦しめるか、これからこのような過ちが起こらないように忘れてはならないと思いました。

文学部1年 福田 沙耶香170328rel-8
はじめに講義をうけました。院長さんはハンセン病に関する歴史やどういう病気かなどを具体的な画像とともに亭々に観察してくださいました。その後展示品を閲覧する時間がありました。充分に見ることは出来ませんでしたが、その品・写真を見ただけでもそれまで遠くに感じていたものが身近に実感されました。また、中学の頃の授業で教えられたハンセン病差別のことが思い出され、あの頃の学びとが繋がったことに驚きました。

文学部4年 齊藤 匡哉
今回、私は何かをしたかと問われたら、「なにもしていない」と答えます。ただ、Dさんというおじいさんと野球の話や歴史、本の話をしてきました。きっとこうやって聞けば、皆さんは何のために訪問したのか?と思われるでしょう。
同情ほどむごい差別はありません。状況の一部すら知らない人間が「かわいそう」の一言で人の人生を決定して良いわけがない。同情は人を助ける側面より、無意識に、そして残酷に傷つける行動だと僕は思う。
ただ、そばにいて共に話をするだけでいい。僕らより何年も長く生きてこられた方とただ、おはなしが出来た。それが僕の得た経験です。

子ども学部2年 松尾 喜
今回2度目となる菊池恵楓園訪問をさせていただきました。交流していく内にハンセン病の誤った知識や認識で差別されている方が沢山いるという事実を改めて思わされました。菊池事件もその内の一つです。しかし、時が流れるにつれ、こうした体験や事実、想いを告げる方々は減っていきます。
私に出来ることはなんだろう。そう考えた時に出てきたのは、幼稚園の先生となって未来の子どもたちに語る事です。語ることで子どもたちに歴史や病気について正しい知識をつけてもらい、また体験や交流する機会を持ち、更に子どもたちの次世代の子どもたちへと…リレーのように伝えていく事が大事です。そうすることで、ハンセン病についての正しい知識や入所者の方々の思いが語り伝えられ皆の心に残っていくでしょう。こうした歴史があったという事も差別問題についても忘れることなくずっと考えていける未来にしたいです。

文学部4年 藤田 京介
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人は未知の病気に恐れを感じ、排除しようとしますが、ハンセン病もそのひとつだと思います。今回の訪問で実際の資料に触れ、お話を聞くことでハンセン病に対する見方が大きく変わりました。
中でもMさんのお話が印象的でした。病に罹った頃の話や恵楓園での体験談を聞き、ハンセン病に罹った方が入所者同士で身の回りの世話をしあったり、所内で独自の通貨が出され外に出られないようにするなど、今では考えられないような扱いを受けたことを知りました。
過去に行われた事を悪とすることは簡単です。しかし、過去にあった差別の歴史はなくなりません。同じことが繰り返されないように一人ひとりが病気や疾患に対して正しい理解を持つべきだと感じました。

子ども学部2年 関野 明日香
今回二回目の恵楓園を訪れて、去年訪れることのできなかった資料館を見学することができました。ハンセン病の方との交流会では、91歳の方とたくさんお話をし、明るく過ごすことが元気の秘訣だということを教えていただきました。今回一番心配だった震災のことをきくと、心配してくれてありがとう、大丈夫だったよと言われていました。
どんな状況でも、感謝の気持ちを忘れないこと、明るく生きることを学ぶことができました。

子ども学部2年 梅木 純平
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私は菊池恵楓園を訪れて様々な事を感じることができました。
そこでは今も200人ほどの方々が住んでおられます。それには、後遺症の影響で足などにけがをしても気づかないため悪化してしまう、それを防ぎ治療をするため、そしてその治療をちゃんとできる病院が少ない事も関係しているのではないかと考えました。園長先生のお話にあったように、医大ではハンセン病の治療の方法をあまり深く習わないそうです。自宅から遠いと負担がかかってしまうでしょう。
また、一番大きな事は周りの目だったり意識の違いです。今でこそ認識の違いは無くなってきていますが、自分と違うとどうしても避けてしまう人が時にはいます。その問題を解決するためにも私たち一人一人がしっかりとした知識を持ち、学んで行く必要があるのではないでしょうか。

子ども学部4年 白坂 亜嵯誼
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 私は、ハンセン病の存在は名前を知っている程度だった。だからこそ、今回がハンセン病を知るチャンスだと思い参加した。
ハンセン病を患った人は、間違った偏見から、一般社会から強制隔離され差別されていた。さらに、人権を侵害する行為として無らい県運動や療養所内で偽名を名乗るよう推奨されていた。そのような過酷な扱いをされた方々は、今を生きることが苦痛なのではないだろうかと思っていた。だから、交流会でDさんとお話をさせて頂いた時、驚かされた。
盲人会のDさんは、テレビを聴いて野球を楽しみ、本を「聴く」ことで文学を嗜んでいる。目が見えなくて、本やテレビが見ることができなくても、“聴く”ことでしっかり情報を取り入れているのだ。絶対にそれは簡単なことではないだろう。Dさんの文学知識はそれほど膨大なのだ。
 私が同じような立場になった時、あんなに笑ってお話をすることができただろうかと深く考えさせられた。Dさんとの出会いが、こんな自分にも何かできるんじゃないかという強い気持ちにつながった。

 

◆エッセイ
社会人で大学入学し、70代で文芸創作専攻を卒業、現在大学院聴講生をしている廣中光子さんは、毎年欠かさず恵楓園を訪問しています。今回、訪問に寄せてエッセイを書いてくれました。

「春の花束をとどける」                     大学院 聴講生 廣中 光子

恵楓園を訪問する三月の上旬はいつも春寒である。今日も風が冷たい。山々を仰ぎ見慣れた町の家々の屋根に、今年は見慣れない青い屋根があった。熊本地震の後の屋根を蔽うブルーシートだ。園の皆さんは無事で建物の被害も微少と聞いてはいるが、窓外の風景に心が騒ぐ。

 交流会場の玄関で馴染みの入所者Tさんが待っておられた。来ましたよと肩を抱き合う。入所者の方も高齢になり、年々体調が気遣われるが、今年は四人の方と交流。一回生二回生の学生は活発に話しかけ耳を傾ける。その姿に三十年ちかく続く交流の暖かさを感じる。
実は、今年はハンドベル部が、あるメロディーをプレゼントの花束にしてくれているはずだ。その花束が披露される時を思い私の心はさらに暖かくなる。

 170328rel-2Tさんの声は澄んだ高音で、その切れのよい歌い方は九十歳をすぎた声音とは思えない。その彼女が昨年、若い人は早春譜など知らんでしょうがそれを歌ってみたいと言った。まだ少女と言える頃にこの園にきたTさんの清しい思い出の歌のようであった。その話をハンドベル部に伝えた。
 知らない歌だという部員が一年をかけてどのように練習を重ねたのかは、メロディーの紐が解かれたときに想像ができた。「どこかで春が〜早春賦〜春よこい」のメドレーである。
春よ来いと細く静かに囁き、どこかで春がうまれてると耳を澄まさせ、春は名のみの風の寒さやと鶯に声も立てさせない。まるで今日のような春寒の日が曲のアレンジで描き出される。タクトを振る中山先生の姿もみえるようなメロディーの花束である。
Tさんは澄んだ声でメロディーに応え、園の職員、私のような年配の参加者も唱和する。ハンドベルと唱和は信頼のリボンとなってリクエストに応える心、それを受け取る心が綾に結ばれる。

 参加した若い学生がこの交流で感じたことや届けたメロディーの花束が、どのような形のリボンに結ばれていくのか、楽しみであり期待でもある。
 また来年! 恵楓園と梅光の交流は社会的に未熟な若者の心を育てる人間道場の場所と思えてならない。同時に年輩者には我が身を振り返る鏡ではないかと思われるのである。

 

 

 

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