
秋季宗教講演会
(日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師・
NPO法人北九州ホームレス支援機構理事長)
メッセージ:「自分の十字架~絆とは何か~」
マルコによる福音書15:29~32
【お話の要旨】
8月31日、渋谷のライブハウスに23歳の男がガソリンをまいて逮捕された事件がありました。火はつかずに未遂に終わりました。この青年は、犯行動機を「誰でもいいから殺して、自分も死刑になりたかった。」と言っていました。
この「誰でもいい」ということには二つのことが見出せます。一つは、「誰でもいい」という言葉は、ホームレスの若者の言葉に近いのです。私が接してきた若者たちは、「誰でもいいから話を聞いて欲しかった。」「誰でもいいから自分を認めて欲しい。」と言っています。つまり、自分の存在を認めて欲しいのです。
二つ目は、今の若者たちは「誰でもいい」を言われ続けていることです。2008年以降、非正規雇用は全体の3分の1を占めています。今の若者の2分の1は非正規雇用です。つまり、あなたでなくても「誰でもいい」ように扱われているのです。しかも非正規雇用者は人事部ではなく、購買部が扱うのです。
「誰でもいい」と言われ続けてきた青年の一部が、「誰でもいいから殺したかった。」になっているのです。渋谷の事件は、この時代の根本問題を反映しているのではないでしょうか。
しかし、希望はあります。「誰でもいい」なら、私たちが話しを聞いてあげればよいのです。特別な資格がなくても、技術がなくても、聞いてあげることが出来るのです。
皆さんの中にホームレスはいませんか?「誰でもいいから話を聞いて欲しい」人はいませんか?生きるか死ぬかの時に相談できる人があなたにはいますか?いなければあなたはホームレスです。
ホームレスの男性を中学生が夜中に襲撃するという事件が北九州で起きました。この男性は、「犯人の中学生は、夜に帰るところがないのではないか。」と言っています。本質は、物理的な家があることではありません。夜中の2時に中学生がうろうろしているということは、彼らもホームレスになっているのではないでしょうか。皆さんの中にホームレスの人はいませんか?
匿名でランドセルを贈るタイガーマスク運動は美談として知られています。しかし、匿名の問題点は、支援を受ける人に直接会うことを回避することです。人の支援は責任を伴い、支援の世界はとても大変なのです。物を差し上げても断られることもありますし、電話を受ければ自分の時間がとられます。人と人とが絆を結ぶには、傷つくことも含まれます。健全に傷つくための仕組みが社会なのです。
イエスはののしられながら十字架上で死んでいきました。「他人は救ったのに、自分は救えない。」要するにアホだと言われたのです。このアホな人が復活の主となったのです。
皆さん、私たちは少し賢くなりすぎたのではないでしょうか。「人と関わるのはアホ」とは考えるかもしれませんが、少しアホになりませんか?傷つくことが絆なのですから、多少なりとも傷つくことが必要です。私たちは賢くなりすぎて、関係を持たなくなったのではないでしょうか?絆再生のためには、無傷では無理です。
イエスは、「わたしに従いたい人は、自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしについてきなさい。」と言いました。イエスは無実であったがゆえに、彼が負った十字架は自分のためではなく、私たちのためでした。イエスが負い傷ついたのは、他人の十字架だったのです。これが絆です。
学生の感想
今回の話の内容には人間の「絆」というものが大きく関係しており、私も改めて、絆について考えさせられました。「絆という字にはキズという言葉 が含まれていますよね。」その言葉の意味することを先生のお話を聞きながらずっと考え、普段何気なく聞いている言葉にもその言葉には隠れた意味が もうひとつ潜んでいると気づきました。
他人との絆を結ぶということは容易いことではないですが、私がこれから出会う人の声にもそっと耳を傾けてあげられるような優しい人間になりたい と感じました。奥田先生、お忙しい中素晴らしい講演、ありがとうございました。
東アジア言語文化学科 吉村咲



























