沿革


沿 革

沿 革

地域社会や他者のために生きる 光に充ちた人材を育成し続けてきた梅光学院140年の歴史

今から139年前、長崎の地で梅光学院の歴史は幕を開けました。アメリカの宣教師ヘンリー・スタウト博士夫妻により聖書と英語の私塾が開かれたのです。キリシタン禁止令が正式に解除される前年のことでした。塾は梅香崎女学校となり、1914年には山口の光城女学院と合併、頭文字1字ずつをとった梅光女学院が下関に誕生しました。当時の下関は東アジアの玄関口として重要な位置にありました。戦災での校舎の消失など多くの苦難を乗り越え、1964年の短大開設以後、大学、大学院を設置、2001年には男女共学となり、名称も「梅光学院大学」となりました。 梅光学院は、このような永い伝統を持つミッションスクールとして、地域社会や他者のために生きることのできる人材を育成し続けています。

ヘンリー・スタウト●1838年、ニュージャージー州ラリタンに生まれる。アメリカ改革派教会牧師。1869年31歳で来日。さまざまな困難のなかで、愛する日本での教育と布教活動に生涯のほとんどを費やし、1912年、故郷で74歳の生涯を閉じた。

エリザベス・スタウト●1840年、ニュージャージー州に生まれる。兄の援助で女学校に入り、1年は学び1年は働きつつ卒業した。ヘンリー・スタウトと結婚し直ちに来日。夫妻の私塾では聖書、英語、科学を男女両学生に教えた。1902年、長崎にて没。


1872
ヘンリー・スタウト博士夫妻、長崎に聖書および英語塾開設。
1879
服部章蔵、下関に赤間関光塩英学校開設。
1887
米国北長老教会、広島に広陵女学校創立。
1890
梅香崎女学校となる。
1891
光塩英学校と広陵女学校が合併、山口英和女学校となる。
翌年、校名を光城女学院と改名。
1914
梅香崎女学校と光城女学院の合同校として下関梅光女学院が誕生。
1941
財団法人下関梅光女学院設立。
1945
戦災により、 その校舎のほとんどが焼失するが生徒、父母、同窓生のほか米国キリスト教信徒の献金により復興が進む。
1953
梅光女学院幼稚園開設。
1964
梅光女学院短期大学英米文学科開学、翌年日本文学科増設。
1967
梅光女学院大学文学部日本文学科、英米文学科開学。
1976
大学院修士課程開設。
1978
西日本の女子大として初めての博士後期課程(博士課程)を設置。
1982
文学部に英米語学科を増設。
1999
英米語学科が発展的に移行し、 現代コミュニケーション学部現代コミュニケーション学科開設。
2000
短期大学部を改組・再編し、言語コミュニケーション科開設。
2001
開学130周年を機に法人名を学校法人梅光学院と改称。大学は梅光学院大学と改称され、男女共学となる。短大は梅光学院大学女子短期大学部と改称される。幼稚園は梅光学院幼稚園と改称される。
2002
東駅キャンパスへ大学移転開始。
2003
東駅キャンパスへの大学・大学院移転完了。
2005
大学に子ども学部子ども未来学科を新設。現代コミュニケーション学部を改組・再編し、国際言語文化学部英米語学科・東アジア言語文化学科開設。
2006
女子短期大学部閉学。
2009
文学部英米文学科と国際言語文化学部英米語学科を改組・再編し、 国際言語文化学部に英語英文学科を開設。
  • BGU contents
  • 大学の概要
  • 建学の理念
  • 沿革
  • 学長メッセージ
  • アドミッションポリシー
  • 宗教部の活動
  • 学部・学科・大学院
  • 海外留学
  • 取得できる資格
  • 卒業後の進路
  • 地域貢献
  • 教養教育
  • 特別課程
  • 施設・機構
  • キャンパスライフ