宗教講習会 2010


【秋季】「隣人として生きるとは」 内田章二先生【2007.10.24】

日時: 2007年10月24日(水)13:25〜15:00
場所: スタージェスホール
講師: 内田章二先生 (九州バプテスト神学校講師)
聖書箇所: マタイによる福音書25章40節

メッセージ: 「隣人として生きるとは」

講師プロフィール 

・1952年福岡県筑紫野市に生まれる。
・生後5ヶ月の時「脳性小児マヒ」と診断される。
・身の回りのことが出来ないという理由で「就学猶予」となる。
・18歳の時、FEBCラジオ(キリスト教の伝道放送)を通してイエス・キリストに出 会い、受洗。
・35歳の時、「西日本地区教会学校研修会」で献身を決意。翌年九州バプテス ト神学校に入学。1992年 同校教務主事に就任。
・1994年 同専攻科卒業。福間教会副牧師、古賀教会協力牧師を歴任


要 旨

 創世記には、神様はご自分の姿に似せて人をお作りになったと書かれています。人間らしく生きられるように一人一人をお創りになったのです。私たちは、神様が愛してやまない存在なのです。「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです」(エペソ2:10)。
 「隣人として生きる」とは魅力的な言葉です。人間は、文字通り人と人との交わりの間に生きています。人は隣人と交わって生きるように創られました。気の合う人と一緒に何かをすることは楽しいですが、隣人と生きることではありません。自分の目の前にいる誰かとよりそって生きることが隣人として生きることです。
 例えば私が、「私を皆さんの隣人にしてください」、と言ったとします。皆さんは、「はい、いいですよ。」と答えるでしょう。しかし、私を隣人にするのは大変なことなのです。私は手が不自由なので、じゃんけんもあみだくじもできません。皆さんが何か大事なことを決めようという時に、私は参加できないのです。どこかに出かけるにしても、私には容易ではありませんし、食事には介護が必要です。ですから、わたしを隣人にしたら大変です。
 今日の聖書の箇所は、今から2000年前にイエス様が人々に語られた言葉です。この箇所には、興味深い言葉がちりばめられています。ここには二種類の人々が出てきます。片方は、「困っている人を助けました。」と胸を張って言いますが、もう一方は実は多くのことをしていたのに、「いつ、助けたのでしょうか?」と言っています。つまり、愛の行為とは、してあげたことを忘れてしまうほど自然にするものなのです。今、目の前にいる人を大切に思うこと、大切に思うからこそ、その人が必要なもの、何を思っているのかに気を使う、これを忘れてしまうほど自然になるのです。隣人になるとは、愛の行為の中で生きることと同じです。絶対に仲間はずれにしない、と心に決めて歩むことです。
 私は障害のために、幼いころから仲間はずれでした。生後5ヶ月で「脳性小児麻痺」と診断されて、医師は「せいぜい長生きして7歳までです。」と言ったそうです。学校に行く時期になっても、「学校に来なくてよい」という就学猶予となってしまいました。両親の努力もむなしく、学校に行けませんでした。そこで私にとって家族が教室となりました。父は、宿題を毎日出してくれました。生きるために必要最低限のことを学びました。しかし、中学の年になっても再び就学猶予となってしまいました。
 その頃から私は、自分の存在とは、と問いかけるようになりました。社会から「いらない。」と言われている自分が生きていて一体何になるのだろう、生きている意味があるのか、と毎日考えるようになりました。そして、イエス様の言葉に出会ったのです。こうして私は、生きていても良いことがわかったのです。神様は、私を大切な存在として創ってくれました。大切な働きのために生かしておられます。このいのちの言葉に出会ったのです。
  人生が180度変えられた私は、決して仲間はずれではありません。それから教会に行き、神学校に行き、神様の言葉を伝える仕事をするようになりました。  隣人として生きる、愛のうちに生きるとは、絶対に仲間はずれにしないことです。これは、努力してもできるものではありません。人の努力ではなく、神に心を向けて歩む時に実現します。キリスト教とは、一人一人がその人らしく生きるために、神に心を向けて歩むことです。
 私は、最近まで古賀で牧師をしていました。体が不自由なので、教会の人々を訪ねることも難しく、限られた仕事しかできません。なぜ私が牧師をしてるのだろうかと考えたこともあります。でも、そういう私だからできることもあり、弱い私だから神様が用いてくださったのです。また、私を支えてくださる多くの人たちがいました。  悲しさ、さびしさを経験した人、差別を受けてきた人が解放されて生きることを神様は望んでおられます。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)。うれしい体験は、人に言わずにはいられません。皆さん、神様に心を向けて歩んでください。

学生の感想

 今年の宗教部のテーマは"すべての人の隣人になろう"です。そのテーマにそってお話しくださいました。まず、隣人を愛するの"愛する"とは「目の前にいる人のことを大切に思うこと。」という話です。私たちにとって隣人を愛すとはどんなことか?というのはなかなかイメージがわきません。しかしこの言葉なら誰にでもイメージしやすく、しかも「仲間はずれを作らないこと」だといっておられました。これなら頑張れるかもしれないと、思うことができました。
 また、キリスト教、教会に関わる前のイメージと、関わった後の印象のギャップについて話してくださいました。講演会後にあった交流会でもその話題で盛り上がっていたように思えました。ミッションスクールに通っている私たち。でも全員がクリスチャンなわけではありません。ほとんどの人が入学するまで、キリスト教についてなにも知らなかった人たちでした。皆、必ず入学する前にもっていたイメージがあると思います。そのイメージと実際にキリスト教、聖書に触れてみてどうだったのでしょうか?皆いろいろな変化があり、多くのことに気づかされていました。私自身聖書の言葉にはクリスチャンではなくても多く助けられました。みなそれぞれに考えがあり、自分の気持ちの変化について考えることができました。
  今回の秋季宗教講演会の内田先生のお話は大学生活、礼拝、ミッションスクールでの学ぶ姿勢を改めて考えさせられる、いい機会になりました。
子ども学部2年

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