
【春季】「見よ。それは非常に良かった!~完璧なものとして・・
日 時: 2006年6月7日(水) 13:25〜15:00
場 所: スタージェスホール
講 師: 安藤 和子 先生
(京都インターナショナル・ユニバーシティ教授、理学博士)
メッセージ: 「見よ。それは非常に良かった! 〜完璧なものとして創造された宇宙、地球、人〜」
科学者である安藤先生は、無神論者でしたが、ふとしたきっかけで教会に行くようになり、神の招きを受け入れてクリスチャンになったそうです。先生は「信仰を持ってみると、聖書と科学は矛盾していないことを知りました。」と言っておられます。人類の科学のレベルがまだ聖書のレベルに達していないので、聖書に書かれていることが分からないだけであると言っておられます。
また、日本では「進化論」を証明された正しいものとして受け入れていますが、実は、これまで進化の証拠とされてきたものは、ことごとく否定されています。例えば、始祖鳥は、は虫類と鳥類の中間型ではなく、鳥であることが明らかにされています。また、無から有が発生することはないということは、科学では既に証明ずみですが、進化論は何もないところから自然発生的に生物が発生することを前提にしています。ですから、進化論は正確には論ではなく、「進化仮説」と呼ぶべきなのです。「仮説」はあくまでも「推論」ですので、科学とは言えません。そして、「進化仮説」を信じている科学者は、その証拠を今集めているのです。ですから、何か大きなものの存在(創造主)が、自然を、生物を造ったという聖書にある「創造論」はあながちまちがいではないと言えます。
ここで3つの重要な命題があります。わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか、そして人生の異議とは何か、ということです。「進化論」によると、私たちは何十億年の時間に偶然に存在するようになったものなので、死んだら終わりであるということになります。偶然の存在ですから、人生の意義や目的はないと答えています。一方、「創造論」によると、私たちは神が特別な目的を持って造られたものなので、生きている意味があります。神に愛されている大切な存在だと言えます。また、死後も神のもとで永遠に生きることができる存在であると答えています。私たちは、どちらの「メガネ」を使っているでしょうか?後者を使うと、創造主、真理、永遠の神の国、宇宙、地球、人の真の姿、人生の意義、命の尊さが見えてくるのです。
講師プロフィール
専門:生物化学。大阪大学理学部で修士、東京大学大学院で理学博士取得。その後、米国に5年余留学。 帰国後メレル・ダウ研究所で、生物学部長、科学部長などを歴任。 1995年、主の召しに従って宣教に携わるため退職。大阪医療専門学校の非常勤講師を経て、 2003年1月から京都インターナショナル・ユニバーシティ生物学部長。現在に至る。
学生の感想
私はいままで創造論というものにあまりふれたことがありませんでした。そのため、生物は大昔の地球で突然発生したのだと思っていました。しかし、安藤先生の講演を聞き、必ずしも進化論が正しいとはかぎらないのだと気づかされたのです。
安藤先生のお話では、進化論では生命は偶然に存在するようになり、人生に意義や目的は無く、死んでしまったらそこでおしまいですが、創造論では、人は主のみ姿に似せて創造され、ひとりひとりに特別な人生の目的があり、死は永遠への一区切りであるとおっしゃいました。それを聞いて私は創造論こそが現代を生きる人々に必要なのではないかと考えました。今の時代、多くの人々が自分の存在意義が分からず悩んだり、誰にも愛されていないと感じてしまっています。しかし、創造論はそのように悩んでいる人々を救い、心の支えになることができると思います。お話にでてきた「進化化メガネ」と「聖書メガネ」、2つをかけかえると見えてくるものはまったく違ってきます。せっかくの一度しかない人生ですから、私はどうせかけるのなら、より充実した人生を送ることのできる「メガネ」をかけるべきです。そして、それができるのは「聖書メガネ」なのだと思いました。
日本文学科1年生
僕は"進化論"や"聖書"について、あまり知識は無いけれど、どちらかというと、進化論を信じている側の人間でした。単細胞生物から多細胞生物へとなり、それらから枝分かれして、今の動物、植物が生まれたんだと思っていました。
聖書を何回か読んだことはあったけれども「神様がすべてを作った」みたいな事を書いていて正直ありえない話だと思い、気にもとめていませんでした。しかし、安藤先生の話を聞き、若干考えが変わりました。
科学が、単細胞生物の自然発生を仮定していたのに、科学によってそのことが否定され、その事により、神様の存在を思う自分がいることにびっくりしています。また、安藤先生が配った資料のなかに、「『地球は丸い形をしている』と聖書に書いてある。」という項目がありましたが、2000年以上も前に書かれた聖書にそのことが書いてあることにびっくりしました。前はあまり、聖書を信じるということに、いい気はしなかったのですが、今は、そうでもない自分がいます。
熱心にとまではいきませんが、ミッションスクールに在学しているので、この事をいい経験にしていきたいと思います。
日本文学科2年生






















