友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15:13)

~まことの友~

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本園は振り返りの学期として、園児達の成長を喜び合いながら3学期が始まりましたが、早いもので今年度の保育も残すところあと二ヶ月となりました。各クラスにおいては子ども自身が、また友だち同士で自分たちの成長に気付き、喜び、更なる成長に繋がっている様子をみることができ、嬉しいかぎりです。

 

 さて、幼い時の友人は共に遊びを通して得た仲間です。一緒に生活する中で、共に笑い、共に泣き、共に遊ぶ経験を積み上げ、友だちを丸ごと理解しようとしています。年長児になると、心の友として互いのことを感じ合える仲にまで成長していきます。友人は、人生においてかけがえのない財産です。でも、今までの人生で「親友」と呼べる友は決して多くはないはず。友だちとは、親子とも、夫婦とも、恋人とも違う、互いの自由意志に基づいた関係です。世間的に「良い友だち」の条件として挙げられているのは、楽しい人、明るい人、気の合う人、話しやすい人など、どれも自分にとって都合の良い人たちです。しかし、 聖書が教える友とは、イエス・キリストの十字架の愛ほど大きな愛はない、無条件に私たちを愛し、自らの意志で十字架に進まれたこの愛に勝るものはない、と教えてくださっています。そこから真の友を深く知り、その関係を愛することができるのです。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15:13)
 この御言葉は福音の核であり、イエスさまの愛を明確に語っている箇所です。ここで読み取るべきイエスさまの思いは、天地万物を創り、時空を超越して宇宙を統べる神さまが、私たちを友と呼んでくれていることです。それは、神さまが私たちとの間に、イエス・キリストという愛を立てられたからです。子どもたちに,天の父がわたしたちに下さっているすべてのものに感謝することによって,わたしたちは御父に愛を示すことができます。

 

まもなく年長児は卒園の時を迎えますが、小学校でも新しい友だちと出会い、より深く関わり遊び合いながら心の友を得ていってもらいたいと願うのと同時に、幼児期に得た友だちを、とくにイエスさまをずっと大切にしていってもらいたいと思います。