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 「平家余聞」は、前回のテーマを踏まえ、それを少しずつずらしていく方法で展開している。
 東日本大震災の発生を受けて今回は順序を繰り上げ、99、100を同時に掲載する。

99 地震

 2011年(平成23)3月11日14時46分、宮城県沖の海洋を震源とする巨大地震が起きた。マグニチュード9.0(暫定値8.3を、後に訂正)という地震のエネルギーもさることながら、これによって引き起こされた津波が甚大な被害をもたらした。

 岩手県田老では、10メートルの防潮堤を、潮が軽々と越えた。三陸海岸特有の地形もあって、潮の高さは17メートルを越えた所もあったという。3階建てのビルの屋上に、車が乗った映像も流されていた。全滅した地域もある。死者、行方不明者は2万人を超えた(25日現在)。

 95年の阪神淡路大震災では、火事で多くの死者を出した。家屋の密集する都市部では、火事は怖い。ただ、火事は点が面になるのに多少時間がかかる。それに対して、津波は一瞬だ。たとえば宮古では、地震から約30分後に、4メートル以上の第1波が襲来した。2波はさらにそれを上回り、命も物も、根こそぎ持って行った。地震から、わずか1時間程度での出来事だ。

 津波のすさまじい破壊力に圧倒されて、わたしはテレビに釘付けになった。形を残したままの家が流されて行く。次の瞬間、流れに堪えている家に衝突して傾き、共に崩れる。むごい光景だ。

 それにしても、衝突して崩れるまで、どちらの家も原形をとどめている。屋根瓦もはがれていない。あくまでも外観からの判断にすぎないけれど、最大で震度7だったという地震でも、ほとんどダメージを受けていないように見える。最近の家の耐震構造の確かさに、あらためて驚かされる。

 ところで、1185年(元暦2)7月9日の午刻(12時ごろ)、京都は大地震に見舞われ、多くの堂舎が倒壊した。死者も多数出た。平家滅亡の、わずか4か月後のことでもある。『愚管抄』によれば、清盛が龍になって大地を揺さぶったとの噂がもっぱらだったという。

 『方丈記』も、作者が若いころ遭遇した5大災厄のひとつとして、この地震を取り上げている。 都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、ひとつとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛りなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず。家の内にをれば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。

 臨場感あふれる文章だ。『方丈記』の作者も、あまりの怖さに家を飛び出したのだろう。「堂舎塔廟、ひとつとして全からず」は誇張であるにしても、被害は大きかった。

 平家繁栄のきっかけとなった得長寿院の三十三間堂も、倒壊した。被害の具体的な状況は、『玉葉』(九条兼実)、『吉記』(藤原経房)、『山槐記』(藤原忠親)等の日記に詳しい。

 家屋の倒壊のほかにも、変異があった。琵琶湖では水が北に流れて、南部は数日間、岸から4〜500メートルも干上がった(山槐記)。『方丈記』が「海は傾きて陸地をひたせり」と表現しているのは、このことらしい。京都ではあちこちに地割れが出来て、水が噴き出した(玉葉・方丈記)。
 
 政府の調査研究機関である地震調査委員会が09年(平成21)出した報告書に、この地震にふれた部分がある。それによると、原因は琵琶湖西岸の断層帯が動いたもので、マグニチュードは7.4と推定されている。震源が内陸部の、いわゆる直下型だという点では阪神淡路大震災に通じる。日本は地震列島だ。いつかまた、どこかで。

 
(宮田 尚)

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